鉛が砕け散るような、錆びた音が聞こえた。
半分夢の世界に脚を浸けて、たとえば夢の終わりの深海で、沈むように漂うような――、そんな中で、冷たい音がした。
その次に、眩しいと、感覚が眼を覚ました。光の中だと気付いたら余計にぼんやりとしてくる、先ほどまで、暗い海にいたはずなのに。
クリスが徐に、その瞼を持ちあげれば、差し滲む光の零れ……ゆれた線が道と天井をつないでいった。
そうだ―――…ここは、
腕を動かそうとした時に、その指先からはじけるように、避けるような痛みが走った。
腕の神経をつたい、体中に這いまわる、一瞬にしてそれは、クリスを絶望へ打ち伏せるかのように破裂し、飛翔し、沈黙した。
クリスは声もなく腕を下ろし、その次に、やっとの思いで唸りを上げた。
「あっ…ぐ、ぁ―――くそッ…!!」
痛みが走れば、後にはじわじわと世界が現実味を帯びてくる。ここは深海でもなければ、夢の世界ですらない。
まるで海の彼方に聳える独房の並びによく似た、コンクリート固めで出来た古臭い小さな部屋でしかなかった。
そして、今さっき己の体を蝕んだ痛みの原因が、あかあかとクリスの眼に映りこんだ。
コンクリートに色付けるかのような、赤々しい血たちが、足や、腕、おそらく頭からも流れていたのだ。
そして手当てを受けずに野放しにされたその皮膚たちが、己の内から血を零れ落とし、その中を曝け見せている。
まるで綺麗な果実を剥いで溢れる飛沫を見ているかのようだった。じわじわと痛みが頭の根元までを襲い、金槌を振りおろしている、基盤が削られていくようだった、恐ろしく、
体に自由が利かない、理性すら定かではない、そのときに唐突に考えたのが、今自分はどこでこうして悶えているのだろうという不安だ。俺は死んだはずなのだ。
「そうだ―――ジル…あいつが………」
死んだ、はずなのだ。俺は確かにあの時、自らの命を捨てウェスカーと身を投じたはずだった、
あんな高さからの落下だ、到底助かるはずもない。助かる可能性などあるわけがないのだ。
だが―――、この体には傷があるにしても、あきらかにここは崖の下では無い。
それでは奇跡的にでも拾われたのか?その節があるとするならば、ジルが生きている事も証明づけられるだろう。
けれどこの考えを通すには、今の現状はあまりにも理解し辛いものだった。この鋼鉄の暗がりは、闇に据える地獄の一片の匂いがする――、安らぎを与えない、死を待つような
時間に生を投げ込まれているみたいであった。助けではないとすれば自ずと答えは囲まれ、導き出し得なくなる、
想像がつく範囲の事であっても信じたくないものが常に現実なのだと、世をこうして生きていれば、子供ですらわかってしまう事だ。つまり、
――――――捕まっている。
やつらの手中に落ちたのだと考えれば、この状態も十分に説明がつく。やつには俺を恨む理由も、殺す理由もある。なんの
狂気を抱かなくたって、ここに俺を野ざらしにし腐り絶えるのをひたすらに見送ったって何らおかしくはない。それ以上の事をしすぎたのだ、あの血にまみれた掌は。
頭の中が落ち着いてくると、ふと背に触れた地面が冷たく肌に刺さった。
「くそっ……どこか……、!………せめてこの枷でも…!」
腕に絡んだ枷らしきものが、クリスの両腕の自由を奪っていた。
足には血だらけの傷があるせいで、思うように感覚が伝わらない。その上にあちらこちらに痛みが散乱している。
なんとか匍匐の体制に建て替え、近くの扉に体を向けようとしたとき、その声が聞こえた。
「やはり…お前は死んだりはしないようだな……」
唐突に振り向いた、体の軋みなどその一瞬では何の妨害にすらなりえない。瞳に映ったその人間が、凍りついた笑みをこちらに寄せていた。
「…………ウェスカー……、お前…」
「ああ、俺はこうして生きている。お前のようにそうして這いずる必要もなくな。」
一体いつの間に自分の背に立ったのだという質問は、どうやら聞くまでもなさそうだった。
「化け物に成り果てたのか…………、」
「フッ、……そうだな、お前をこうして甚振る為にも…地獄を手に入れたさ、」
――――――あッ!!、ぐ…ッ
喉の奥でかすれた声が、絞り出されるように滲み出た。
足の裂け目をクリスが足で踏んでいたのだ、まるでそれは死にかけの鼠でも踏みつぶすように、
軽やかにそして鋭く、肉塊を割いて血潮を浴びた。
めくれ赤くさらけた皮膚に、何倍もの激痛が走る、視界が真っ白に煌めいたかと思えば、やがて黒く消え入りそうに何度も瞬いた。肉の踏まれる感覚がある―――夥しい悪意が、胸脳でせせら笑っていた。
「お前ッ――、俺を、どうするつもりだ―――!!」
「さぁ、…そうだな、…………、どうするか。」
「拷問にでも叩きつけて――、憂さ晴らしでもしたいか……ッ」
「ああ、それもいい。お前は殺すだけでは足りないほどに憎むべき相手だ、だが…
殺してしまうのが…、また意味のないのも事実だろう……、こうして籠に閉じ込めたのだ、
宿敵であるお前を……ならば、、まだ楽しませてもらわねば…、なぁ?クリス――――」
「何を―――するつもりだ――――ッ!?」
声に混じり潜んだ僅かな怖れに、ウェスカーは咽喉を引き攣らせて笑い返した。
残酷にも楽しんでいる――、底の見えない悪がたゆたい―――自分の喉もとで鎌を
舐め、待ちわびているのがわかった。死を与えるその瀬戸際まで追いつめる――その快楽………、
ウェスカーは次に、クリスの足元に膝をつけ、あろうことかそのクリスの足を掴みあげた、
幸いにも傷口を掴まれることはなかったが、そこには痛々しい裂け目が開き、なめらかな血をぬるりと足先へと伝い、その下へ円を描いている…。
ウェスカーがその傷口に目を向けた事を悟り、その先の地獄を想像することが、また冷たい汗をクリスに呼び起していた。
今にも飛びそうなその瞳で、ウェスカーに視線を漂わせてみれば、その、黒く闇にまみれたサングラスの奥―――、
うっすらと見える瞳を捕まえる刹那、その暗がりと瞳の交わりの暗闇に、なぜかクリスは、
先ほどまでの夢を思い出したのだった――――。
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(20090413)