耳を立てずとも、その音は船の甲板を超えて、海の遠くまで、轟くような戦慄だった。
少しの癒しもなしに、ただにその悲しみだけを、ひたすらに鍵盤に叩きつけている様で、
働きに精を、汗も出ない体に鞭を打っていた魚人たちも、思わずに、その音に耳を傾けていた。

 
なんの事もない、こういったことは日常茶飯事だ、
唯一違うのは、その音がいつもより早いというだけ、
その甲乙している音が、異していると察する自分たちにも、また滲みこんだ彼の存在が窺えた、
ロープを引き挙げて淵に立っていたマッカスが、思わず、というように、呟いた。
「今日は…ああ、そうだったな、」

その声が、みんなにある事実を知らしめて、それを弾みに皆がどこかやりきれない顔に変わる。
その事実は、あまりにも不釣り合いな場所に漂い、そしてそれに食い縛られている船長自身に、また
やりきれない思いが浮かぶ。


「でもよ、もう祝うとかいう歳でもねーんじゃねえのか…?」

その言葉に、誰もが同意したであろうが、それを実際に彼に伝える者はいなかった。
誰もが。彼が、祝いの為にその嘆きに似た音を、奏でているわけではないと、わかっていたから、
感情の捨てられない、心のない彼の憎しみが、捨てられずに体の奥に沈殿しているというせいで、
誰も助ける方法を知らなかった、心は存在しないのだ、彼には、なのに――――…

「早く…忘れてくれればいいのにな……」






女神が、生まれてもう幾年の年が経っている。
このフライングダッチマン、幽霊船とも恐れられる悪霊の住処で、頂点に立ち、
その存在を世に知らしめている男は、
何年もこの日が来るたびに、思い出される悪夢にうなされていた、
――――それは、唸りよりも、悲しみか、それに似た寂しさに近い。
忘れられないのだ、彼は。少しの喜びも持たぬ上に、その悲しみにだけとらわれていた。
疑わぬ心の一途さが、やがてたったひとつの嘘に、浸食され、圧縮し、このような形に変貌を遂げてしまった。

――船員のすべてが、彼の為に何も構わず船に向かって、その雄たけびと、血と肉をひき裂いていたのに、
誰も、彼のたったひとつの思い出を、忘れさせることができなかった、


きっとこれからも、この悲しみから彼を救い出せはしないのだろうと、
船員は思い、理解し得ない恋情を恨んだ。




深海には、だれも喜びを溶かすことができない、
その音は、一日中響いていた。






悲しみに沈むもの

こころないあなたのこころをどうしたらすくえるの